SE辞めIターン就農

地域溶け込み生活充実

浜本 岳志記者(福井県立大学 3年)

 東京の大手IT企業でシステムエンジニア(SE)を務めていた若林秀志さん(52)は2010年3月、会社を辞めて大野市へ妻子とともに移住した。同年4月からコメとサトイモを作る農家の下で研修をスタート。14年には親方とともに合同会社「このもと農園」を設立し、現在は代表を務めている。
 このもと農園が70アールで作付けしている「上庄さといも」は大野市の特産。私が取材に訪れたときは収穫期の終盤で、農舎に山積みされたサトイモに思わず圧倒された。煮物で試食させてもらったが、これまで食べた他のサトイモに比べて、食感がしっかりしていておいしかった。煮崩れもしにくいそうだ。
 埼玉県生まれの秀志さんは、定年退職後に妻朋美さん(48)の出身地である福井へのIターンを考えていたという。その計画が早まったのは、ある日の偶然がきっかけだった。福井県の農村で地域の人たちと交流しながら農作業を体験する「ふるさとワークステイ」の紹介イベントに東京で遭遇し、農業に興味を持った。
 2008年秋、実際に参加して大野市でサトイモ掘りを体験した。そこで農業の面白さを知り、職業として農業をやってみたいという気持ちが強くなったそうだ。ただ、定年退職後では体力的な厳しさを感じ、40代のうちにIターンして就農することを決意した。自然豊かな福井で子育てをしたいという思いもあったという。
 44歳で移住してからは、日の出とともに活動を始め、日没に作業を終える生活。SE時代のように一日中ビルの中にこもり、終電で帰宅する生活より秀志さんに合っていたそうで「何より子どもと会話をする時間が増えた」と、うれしそうに話していた。
 保育園にも歓迎され、地域の人たちも子育てに協力してくれた。子育てをするには非常に良い環境だったようだ。移住を考える際、その地域になじめるかは重要で、特に農業をするなら地域の人たちの協力は不可欠。家族で移住したことで、子どもを通じた地域との交流も増えたようだ。
 「たとえ年収1千万円あっても前職には戻らない」と秀志さんは断言する。それほど農業や大野での生活に魅力を感じている。
 愛知県出身で大学3年の私は、これからIターンも視野に卒業後の進路を決めるつもり。今回取材させてもらった秀志さんのように、やりがいを持てる仕事に出合えたら幸せだ。

※ 本記事は、平成31年1月19日付福井新聞に掲載されました。