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ウメを栽培する仕事

ウメづくりのさかんな若狭町

若狭町は、福井梅の80%を生産し、日本海沿岸(えんがん)で最大のウメの産地として知られています。

ウメの栽培は、江戸(えど)時代の終わりごろ、三方町伊良積(いらづみ)の農家から始まったといわれています。湖と山にはさまれたせまい土地は、米づくりには適していませんでした。そこで、冬でも雪の少ない温暖(おんだん)な気候を生かして、山の斜面(しゃめん)でウメを栽培するようになりました。若狭町で生産されるウメは、やわらかくたっぷりと厚みのある実が(とく)ちょうです。

若狭町の位置を示す地図
若狭町はここ。

■ウメづくりの歴史
1830年頃
(江戸時代天保)
三方町伊良積の平太夫(へいだゆう)が、初めて売梅としてウメを植える。
1890年頃
(明治20年代)
品種改良が行われ、本格的に栽培される。
1929年
(昭和4年)
西田村梅出荷組合が出来る。
1935年
(昭和10年)
枝のせん定技術が広まる。(生産量100tぐらい)
1940年代
後半(戦後)
コウゾや桑の生産がおとろえ、ウメの栽培がさかんになる。
1961年
(昭和36年)
酒造法がかわり、梅酒ブームがおこる。
1960年代
後半
栽培面積250haをこえ、生産量1000tを記録する。
1981年
(昭和56年)
「梅の里づくり推進事業」が始まる。

ウメづくりの栽培ごよみ

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