当たり前じゃないお米

第50回ごはん・お米とわたし作文図画コンクール

福井県知事賞

坂井市立東十郷小学校 6年 小林 洸大

ぼくの家では、去年まで米作りを自分たちでしていました。おじいちゃんやおばあちゃんを中心に苗を育てて、田植え、稲かりをします。田植えの時には、ぼくも毎年お手伝いをしていました。たくさんの苗箱を洗ったり、苗箱を運んで田植え機に苗を入れたりしました。一日中、同じ作業をくり返し、最後に田植え機も洗います。ぼくは、一、二日のお手伝いだけど、おじいちゃんたちは、他にも、田んぼを平らにならしたり、水の管理をしたり、除草剤をまいたりします。お米が出来るまでには、たくさんの仕事があってとても大変です。                                                                       今年から米作りを近所の専業農家の人にお願いすることになりました。おじいちゃんたちが高齢になり、体力的にも大変だからです。ぼくが産まれた時から当たり前に米作りをしていたから、やめると聞いた時は、もう自分たちで作ったお米が食べれないのかとさみしく思いました。でも父と母も仕事があってなかなか出来ないし、ぼくたちも少ししかお手伝いできないから、おじいちゃんたちの決めたことにいやだとは言えませんでした。それでも、これまでおじいちゃんたちが作ってきた場所で育てたお米は食べることが出来るので安心しました。                              今の日本は、米不足になっていて、米の値段が高くなっているとニュースでよく聞きます。ぼくの家では、スーパーでお米を買わないので、実感はあまりありませんが、県外の知り合いの人から、「お米が高すぎる」とか「お米がなくて買えない」とか聞きました。もしも、お米がなかったらどうなるんだろうと想像してみました。カレーライスもカレーだけになるし、おにぎりも作れません。大好きな焼肉と一緒に食べるご飯も食べれないと思うと、とても嫌だし、食事の楽しみもなくなってしまいます。お米はぼくたちの生活でとても重要なものです。でも、たからといって政府がお米の値段を下げようとする話ばかりを聞くとぼくはモヤモヤします。スーパーなどで買う人は値段が下がるとうれしいのかもしれないけれど、米作りの大変さをすぐそばで見て知っているから、農家の人たちが一生けん命育てたお米の価値を下げられるのかなっと思うと値段を下げることが本当に正しいのかと考えてしまいます。農家の人達のことも考えて対策してほしいなっと思いました。ぼくのお母さんは、帰りがおそい時に「とりあえずお米をたいといて。」と電話をかけてきます。改めて考えてみると「とりあえず」という言葉は、ご飯さえあれば何とかなるということなんだと思います。つまり、ぼく達の生活でお米は最強の存在ということです。これからもお米を食べ続けられるように、食べられることが当たり前ではなくて、作っている人の苦労に感謝をしていきたいと思います。