お米と私の定番関係

第48回ごはん・お米とわたし 作文・図画コンクール

福井県農業協同組合中央会 会長賞

福井市灯明寺中学校 1年 栃倉 音暖

 「ちょっと田んぼ、見てくるわ」
曾祖母の家に行くと、決まって聞く言葉だ。代々受け継いできた田んぼの話や、畑で育てている野菜の生長具合など顔を合わす度に話してくれたことを鮮明に覚えている。まずは、私の学校や友達の話を聞いてもらい、その後必ずと言っていいほど育てているコシヒカリについて、発育が不良だったり、台風で台無しになってしまったり、育てる大変さを話した。「そんなに大変だったら、田んぼもしなければいいのに」と話を聞く私も言葉にはしないが何回思ったか分からない。その横で、祖母が苦笑いをしながらうなずくのが定番だ。「頑張っているのに、うまくいかないことを聞いてほしんだわ。」
と祖母が私に補足のように伝えてくる。確かに私は、うまくいったことも、うまくいかなかったことも何でも話しているが、曾祖母にしてみたら、コシヒカリは大事な子供のような存在なのかも知れない。そんな風に感じるようになったのも、高齢と共に体が思うように動かなくなるが、頭と心は、以前のまま動いている曾祖母が少しずつ体調を崩すようになってからだ。
 私にとって、手を掛け、時間を割いて取り組むことは何だろう。中学生の私には、学習や部活動、手伝い、趣味などが思い浮かぶ。あんなに嬉しそうな表情をしながら、曾祖母は、コシヒカリを育てる話をするということは、それだけ思いを込め、おいしいお米作りに向き合っているからだと痛感した。私も、頑張っても頑張っても形に表れなかったり、必死に取り組んでいるのにどうして!と投げ出したくなったりする時がある。でも、そんな時に話を聞いてくれる人が身近にいてくれることで、気持ちがほっと落ち着き、支えられている。曾祖母の定番のコシヒカリの話もどこか私に似ているのかも知れない。誰かに自分の頑張りや気持ちを認めてもらうことでまた次、頑張れるのではないか。ここまで、曾祖母の思いに追及して考えたことはなかったが、とうとう体が動かなくなり、定番の会話もなくなり、田んぼの世話など到底出来ない状態になって気付いた。一年半後、曾祖母は息を引きとった。
 今まで家族で行っていた田んぼの世話を委託したことを聞き、どこか淋しい思いが込み上げてきた。曾祖母が亡くなったことで、今まで当たり前のようにあったことが当たり前でなくなる。たくさんの大切なものを抱えて天国へ逝ったのだと思った。定番の話も、当たり前ではなくなった。
 曾祖母の作ったお米は、もう二度と食べられないが、あの時の思いを振り返りながら今、私は、大好きなお米を食べることは出来る。この夏、私は、そんな大好きなお米を研究することにした。お米から得る栄養、それらがもたらす影響など様々な分野で研究した。何冊もお米に関する本を図書館で読み、知りたいことがわかる喜びや、もっと知りたいと深める楽しさ、ワクワクする気持ちを味わった。更に私が住む福井県の取り組みとして調べていくと、SDGsに繋がる活動の一つに高校生が開発した「お米のしずく」という米茶があることを知った。興味をもった私は、早速購入してみた。米と水のみで作られた米茶は口当たりも良く、炒り米の香ばしさにお米を飲み込んでいるような感覚だった。私と年齢がそれ程変わらない高校生が開発を手がける事に大きな刺激を受け、調べていくと、その背景には、米の消費拡大、日本の米産業を守ることに繋がって欲しい願いがあった。深刻化する米問題に向き合い、私に今出来る事を見つけたいと研究が進むと同時に感じた。米産業にとっても消費者にとってもメリットのある取り組みから始め、いつか私も曾祖母のように「定番の話」を大事な人に語っていきたい。