お米は私とだれかの元気の源

第47回ごはん・お米とわたし 作文・図画コンクール

福井県農業協同組合中央会 会長賞
福井大学教育学部付属義務教育学校 六年 八木 詩月

   私は好き嫌いがとても多い。毎日の給食は、食べる前からゆううつだ。家のご飯は、母や祖母が私のために工夫して作ってくれている。そんな私が自信を持って「大好き!」と言えるのが白米だ。長時間出かけるときに母が持たせてくれるわかめおにぎりは、最高においしく、いくつでも食べられる気がする。
   二年前に「おうちでいちほまれ~バケツ稲に挑戦~」に参加した。農業試験場からたねもみが送られてきて、バケツを小さい田んぼに見立てて稲刈りまで育てるというものだ。五粒のたねもみから、一体どのくらいのお米が採れるのか、とても楽しみに毎日育て、観察した。
   田植えまで順調に進んだが、だんだん雲行きがあやしくなってしまい、私のバケツから弱々しく顔を出した稲は、収穫までたどり着くことができなかった。土の入れ方を失敗したのか、水の管理ができていなかったのか、原因はいくつもあると思うけれど、たった五粒のたねもみを最後まで育てることができなかったことがとても悔しかった。そして、お米を作ることがどれだけ大変なことかと改めて痛感した。私は毎日「おいしいおいしい」と言いながら食べているだけだったが、その幸福感は、農家の方々が、毎日田んぼとお米に愛情や気配りを注いでいらっしゃるからこそのものだ。
   私のいちほまれは、秋が過ぎても庭に置いたままにしておいた。上手く育てられなかったけれど、お別れするのは寂しく、もう少し大事にしていたかったからだ。その年の冬、私が住む福井県は大雪に見まわれ、庭はたった半日で雪山になってしまった。雪が少し落ち着いて、いちほまれの小さな稲が雪山から顔を出したころ、庭で雪遊びをしていたらキジバトが飛んできた。そして、いちほまれの稲穂をくちばしで引っ張り、食べているではないか!キジバトを見るのも初めてで、ビックリして声も出なかった。私がそばにいるのもお構いなしで、キジバトはいちほまれを二十分ほどたんのうしてくれた。
   この出来事を博物館の学芸員さんに話すと、
 「雪で山の中に食べ物がなくなって、街まで探しに来たんだろう ね。いちほまれを食べるなんて、ぜいたくなキジバトだね。」
と教えてくださった。
   好き嫌いが多い私にとって、お米は何よりも食べる楽しみや喜びを味わえるものだ。そして、飢えた野鳥のお腹を満たしてくれることも知った。トコトコ歩いて庭から出ていくいキジバトの後ろ姿は、なんだか嬉しそうに見えてかわいらしかった。外でわかめおにぎりを食べながら「おいしいなぁ」と思う私は、雪の日のキジバトのように夢中で、幸せいっぱいの顔をしていると思う。