ほまれ愛

第46回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール
福井県知事賞
坂井市立丸岡南中学校 1年 清 水 彩 帆

 我が家には炊飯器がありません。普段は圧力鍋でお米を炊きますが、「いちほまれ」の新米を炊く時は、恭しく土鍋で炊きます。わくわくしながら土鍋の外ぶたを開けると、まだ、いちほまれは見えず、待ち切れず内ぶたを開けると、ホワァっと立ち上る甘い湯気。大好きな香り、おなかが減っていなかったのに、急におなかが鳴ってしまう。食べるとほっとする甘さ。ふんわりとした舌触り。心が幸せな気持ちで満たされます。そして、食べ始めると止まりません。

 いちほまれが登場してからは、毎年新米の時期、県外に住む大好きな祖父母にも、この新しい福井の自慢の味をお裾分けするようになりました。祖父母は、お米の味にこだわりがあり、普段は新潟県魚沼産のコシヒカリを好んで食べています。「いちほまれ」を贈った最初の年は、果たして喜んでもらえるか不安もありました。しかし、「あれはおいしかったねぇ」と言ってくれたので、「福井県民として本当に誉れ高いお米だな」と嬉しかったです。

 「いちほまれ」は、我が家にとって特別です。新しいお米の名前の募集があった時には、家族皆が、あれこれ真剣に考え、お互いの意見も交換しながらそれぞれの最高傑作を応募しました。私自身は、「越のパール」に決めたと記憶しています。「越のルビー」のルビー色とパール色のお米、つまり紅白という縁起の良い色の組み合わせで、福井のお米とトマトの両方が全国の人気商品になったらいいな、という期待も込めて応募しました。お米が何キログラムか当たる事を大いに期待しながら発表まで待ちました。結局、我が家のアイデアはどれも採用されませんでしたが、このお米の名前が「いちほまれ」に決まったと聞いた時は、衝撃的でもあり、嬉しくもありました。なぜなら、名前が決まった年は、私の妹「ほまれ」が一才になる年で、ちょうど「一ほまれ」だったからです。そのため、我が家がその名前を思いつけなかったのは、悔しくもありました。妹は、成長し、「一ほまれ」ではなくなりましたが、スーパーで「いちほまれ」を見つける度、自分の名前が書かれている袋が積み上げられているのに興奮する妹が、可愛いです。

 先日、「気がついたら、いちほまれにも無洗米が登場していた!」と、子育てで日々忙しく、食事の準備はいつも時短を意識している母が、新米の時期でもないのに、いちほまれを嬉しそうに買っていました。「無洗米は、環境にも優しいからいい」と、環境問題に関心の強い母には、大満足の買い物だったようです。我が家にとって、何かとご縁がある「いちほまれ。」特別だけれど、ますます身近な存在になっています。

 我が家の圧力鍋の持ち手には、「一粒のお米に神様十人、感謝」と書かれたステッカーが貼られています。ご飯をよそう度、ここまで育ってきたお米や、育ててきてくれた方々への感謝の気持ちが芽生えます。その、ほぼ毎日食卓に上がるお米の炊き方は、水を加え加熱するだけ。とても簡単そうに聞こえるけれど、土鍋や圧力鍋での炊飯歴十五年の母でも完璧な水加減で炊くのは難しいらしく、炊き上がりが上手くいかない時もあります。よく、コマーシャルを見ていると、炊飯器メーカーも、次々機能を進化させているようですし、ご飯を炊くということは奥が深いのだなと感じます。お米を食べ慣れた私達をさらに満足させるお米作り、さらにおいしくお米を炊くというのは、相当難しいのだろうと改めて感じました。私は、炊飯器で炊いた「いちほまれ」を食べた事がありません。今時のお米の種類によって炊き方を変えてくれる炊飯器で炊いた「いちほまれ」も是非食べてみたいです。