火祭りの塩おむすびと私の夢
第44回「ごはん・お米とわたし」作文コンクール
福井県知事賞
福井市足羽中学校 3年 辻 紗季
私は硬めのごはんが好きです。一粒一粒がはっきりしていて、口に入れたときにほろほろとほどけて、粒のうまみをかみしめながら口内に広がる甘さを感じられるからです。
硬めのごはんはそのまま食べるのも好きですが、おにぎりにすると一段とおいしく感じます。焼きおにぎり、へしこ、おかか、明太子のおにぎりなど、どれも私の好きな味ですが、今までで一番おいしかったのは、火祭りの時に食べた塩むすびです。
火祭りというのは、私の通った小学校で三十年近く続いている伝統ある行事です。毎年九月の終わりの土曜日に、夕方から全学年で文殊山に登ります。四十分くらいかけて登ると汗だくになりますが、すぐに辺りは薄暗くなって寒くなり始めるので、急いで汗を拭き上着を着て、学年ごとの出し物をします。最後に、六年生が一人ずつ大きな声で将来の夢を発表します。親や先生、全校生徒に囲まれていますが、辺りはとても静かで儀式のような雰囲気があり、強く心に残る行事です。そして、全員の発表が終わる頃には、すっかり日も暮れて、手に手に懐中電灯を持って下山し、山のふもとで知恵鍋という豚汁と、おにぎりをいただきます。
私が低学年の頃は、教室で、数名のお母さん達とクラス全員で塩むすび作っていました。お母さん達がはかりに載せたお椀にラップを敷いてごはんをよそい、並んだ子ども達が受け取って、まずは自分のおにぎりを作ります。できた子から再び並んで、二個、三個と作ります。親や先生、山に登る卒業生、そして、山のふもとまでの移動を見守ってくださる防犯隊や、知恵鍋を作って火の番をしてくださる消防隊をはじめ、火祭りを支えてくださる地区の大勢の方々の分です。
しかし、私が高学年になる頃から、おにぎりは家で作って持参するようになりました。私は、海苔でかわいい犬の顔の3Dおむすびにしたり、チキンライスのおにぎりにしたりと工夫して、見た目も楽しくておいしいおむすびを作りました。
小学校を卒業してからも同級生と一緒に火祭りに参加していますが、今は私達のおにぎりはありません。知恵鍋はおかわり自由ですが、あの塩むすびは食べられません。地区のお手伝いの方にはコンビニおにぎりが配られています。何だか少し寂しい風景です。家で自分で作ったおにぎりも我ながらおいしかったとは思うのですが、学校で作った塩むすびの味を私は忘れられません。
普段は人気もなく、真っ暗な山のふもとの広場も、火祭りの夜は眩しいライトが設置され、煌々と照らされる中で、学年ごとに目皿に腰かけてみんなで温かい知恵鍋とおにぎりを食べます。そのおにぎり(塩むすびの方です)は、不格好で大きすぎるほどでしたが、それまでに食べたどのおにぎり、どのごはんよりもおいしかったのを覚えています。九月の夜の寒さにしみる知恵鍋の温かさと、疲れ切った身体を回復させるお米の力、そして何より、大切な友達や家族と一緒に仲良くくっついて食べたからだと思います。
私は将来教師になりたいと思っています。あの日、文殊山の上で発表した夢とは違いますが、実現へ向けて日々努力しています。目指しているのは、小学校、中学校の先生です。いつか、母校に勤めることができたら、火祭りの時には学校でのおにぎり作りを復活させたいというひそかな野望を持っています。自分の教え子達にも、おにぎりの美味しさを感じながら、幸せな思い出を作ってほしいからです。他の学校に赴任しても、子ども達が地域の米のおいしさを学べる時間を作りたいです。米の消費量が減っている日本で、お米が大好きな子を一人でも多く増やし、母国のおいしいお米が食べられる喜びを知ってほしいです。
その他の入賞作品はこちら(ごはん党キッズ)