先人に感謝

第43回「ごはん・お米とわたし」作文コンクール
福井県知事賞
鯖江市立待小学校 6年 近江 遥香

 昨年、福井に新しいお米のブランドがたん生した。六年かけて開発された全く新しいお米ときいていたし、名前の公募があったのでこのお米にどんな名前がつくのか、とても興味があった。その公募から数ヶ月して発表された名前は「いちほまれ」。福井とか越前とかいう土地の名前が入るだろうな、という私の予想は全くはずれたが、この名前はすごく良い名前だなと思った。「いちほまれ」と聞いただけで、つやつやふっくらのご飯がイメージできたからだ。

 今年になって、ようやく「いちほまれ」を食べる機会がやってきた。初めて食べるからと、祖父と祖母も一しょだ。ふ段はにぎやかな食たくも、この日ばかりはだまって一口。味をかみしめながらもう一口。大人たちは、

「もちもちして、少しあまいね。」

などと言っていたが、正直、私にはよく分からなかった。高級といわれればそんな気もするが、いつも食べている「コシヒカリ」でもじゅう分おいしく感じているからだ。それでも、みんながおいしそうに、そしてうれしそうに食べているのを見ていると、それだけで楽しい気分になった。

 その食たくで、祖父が昔の話を始めた。祖父が子どものころは戦後で、すべてが混らんしていて、なかなかお米が食べられなかったそうだ。たまにお米が手に入っても、少しだけだったので、量をふやすためにおいもをまぜてたきこんだという。それはそれでおいしそうだな、とも思ったが、そのころは白いご飯が何よりのぜいたくだったというのを聞いていると、自分がどんなに幸せな生活を送っているのかということに気付かされた。

 その話に続いて、母が母の友人の話を始めた。その友人は、病気で入院することになり、一ヶ月絶食になったそうだ。初めのころは、おかしやハンバーグなどが食べたいと思っていたのだが、時間がたてばたつほど、白いご飯が食べたいと強く思うようになったらしい。

「結局人の食の基本はお米なんだね。」

と、話はまとまったのだが、その話をしてから、私のご飯に対する意識が少し変わった。いつもはなにげなく食べていた白いご飯が、とてもありがたいものだと思えるようになったのだ。

 六年生になって、学校で歴史を習うようになった。二三〇〇年ほど前に、大陸から米づくりが伝わって、日本でも米づくりをするようになったのだという。お米はそんな昔から、私たちの生活を支えてくれていたのだ。米づくりの技術を、今の時代に伝えてくれた先人に感謝したい。

 品質を変え、味を変え、どんどん進化し続けているお米。今日もそのお米を食べられる喜びを感じながら、これからも一口一口よくかんで食べたいと思う。