我が家の田んぼ

第43回「ごはん・お米とわたし」作文コンクール
福井県農業協同組合中央会 会長賞
福井市川西中学校 3年 掃部 有来

 四段の棚田だった田んぼが今年は荒れ地になっていました。お盆のお墓参りの時に見かけた、曽祖父と曽祖母の田んぼは昨年と違う形になっていました。今年に入って曽祖父が亡くなり、それを機に、曽祖母はお米を作るのをやめることにしました。

 お墓まで行くのに、軽トラックの荷台に乗り、我が家の田んぼの横を通りました。大きい田んぼで、そこは近所の人に貸して、お米を作ってもらっています。おととしの夏、母と私と弟で、雑草が生えないように黒い布を貼りつけたのに、今は雑草が伸びていて、黒い布は所々にしか見えなくなっている状態でした。私は、「せっかくたくさん汗をかいて頑張ったのに…。」と悲しくなりました。しかし母は、「人に頼んで作ってもらってるから口は出せんでの。」と言っていました。多分、きちっとした性格の曽祖母も雑草が伸びている田んぼを見るのは悲しいと思います。普段田んぼの横を通る時は、「ちょっとストップして。」と言い「いいもんに育ったやろ。」「きれいな田んぼやの。」と満足そうにしていたのに、今年はそれがなかったのです。曽祖母の横顔はいつもと変わりませんでしたが、きっと私よりも淋しい気持ちだったと思います。

 だからと言ってまだ田んぼをつくるとしても高齢の曽祖母が水を当てに行ったり、止めたり、肥やしをまいたりするのは大変です。出来ないことはないと思いますが、近所の人に頼んで手伝ってもらわなければなりません。祖父母も、父も母も仕事をしていて、しょっちゅうは田んぼまで行けないし、続けることは困難です。田んぼをしないと決心した曽祖母は腹をくくったのだと思います。だから私も、田んぼのことは口にしないようにしています。

 私は、田んぼの手伝いが好きで、小さい頃から春は苗運び、秋は稲刈りのお手伝いに行っていました。田んぼをする時は、家族の休みを合わせて、全員で協力する雰囲気も好きでした。小さい頃の私は、カエルやおたまじゃくしが好きで、そっちに夢中になり、弟とつかまえたりしていました。曽祖母は、その時の姿を今でも覚えていて、カエルやおたまじゃくしが出てくる時期に、「たくさんいるよ。」と電話をして教えてくれます。母は、「いつまでもカエルが好きやと思ってるんやの。」と笑っていますが、田んぼをしている時にも、曽祖母は私を見ていてくれたんだと嬉しくなります。お米を作るという作業だけになっているのではなく、家族の一面も知れるひと時だったように思えます。

 我が家は今まで、お米を買ったことが無いので、これからはスーパーで買うことになります。家族が何年か食べていける分のお米はあると言っていましたが、最近、スーパーでお米を見ると、値段を見てしまいます。お米は高いのだと初めて知りました。当たり前にコシヒカリを毎日食べていますが、ぜいたくだったんだと気付きました。改めて、感謝してお米を食べようと思いました。

 次に、祖父母が田んぼを作るようになるまで手伝いはできませんが、また軽トラックから眺めた数年前の様な景色の田んぼが戻ってきてほしいです。

その他の入賞作品はこちら(ごはん党キッズ)