おもちつき

第42回「ごはん・お米とわたし」作文コンクール
福井県農業協同組合中央会 会長賞
福井市清水中学校 1年 廣瀬 夕夏


 12月24日土曜日午前10時20分福井市にある廣瀬家で今、熱き戦いが始まろうとしている。真冬の日差しが照りつけ、もち米の良い香りがただよう中、姉の到着と共におもちつきが始まった。

 私の家のおもちつきでは毎年、従兄家族と合同で行っている。それは私が生まれる前から変わらず、ずっと続いているそうだ。でも今回は違った。

 2016年7月26日に私は祖母を亡くした。あまりにも突然の事だった。祖母がお風呂場で倒れている姿を最初に見つけたのは、私だった。今でもその姿が目に浮かぶ。すぐに救急車で運ばれた。だが、二時間後に帰ってきた。葬儀屋さんと一緒に。その後数日間は、ずっと泣いて暮らしていた事を覚えている。8月、お盆のお墓参り。9月、四十九日の法要。10月、11月、納骨。祖母の死に関する行事が、終わりに近づくと共に少しずつ立ち直る事ができていった。

 祖母との最後のおもちつきの前日、祖母はいつも通りにもち米の用意をしていた。気になったから側に行くと、祖母は私にもち米のかしき方を教えてくれた。かしき方はあまり覚えていないが、祖母が優しい顔でもち米をかしく姿はハッキリと覚えている。「おばあちゃんは、明日が楽しみなんだろうな。これだけ愛情を込めているから、毎年おもちがおいしかったのかな。」と、感じていた事まで思い出す。

 私は小さい頃からおもちつきが大好きで、母が言うには1才でおもちつきを見ていて、2才の頃にはおもちを触っていたらしい。私が小学校に入ってからは、おもちをつきたくてたまらなくなった。だが、私や姉がつくと祖母が怒るからあまりつけなかった。それでも私達はつきたかったから、祖母の目を盗んではついて、見つかったら怒られ、それをずっとくり返していた。今思うと、女の子にはケガをさせたくないと言う、優しさだったのかなと感じている。

 祖母がいない初めてのおもちつきでみんなが不安と戦う中、私は祖母のかわりにうすとりをした。初めてのうすとり、この手に感じるおもちの感触が言葉にできない位、気持ちの良いものだった。今回はほとんど、私と姉のペアでおもちをついた。私がうすとりで姉がもちつき。父や祖父からは、視線でものすごいプレッシャーをかけられた。だが私と姉は、一緒に協力しおもちをついた。今回初めてのうすとりだったが、触っただけで、あと何回つけば良いのか分かるようになった。しばらくついていると、みんなの視線が不安から温かいものへと変わっていった。そして、ようやく一臼目のおもちができた。これは鏡もち用だから一度、粉の入った、たらいに移した。一つおもちができただけで、ものすごく体力がうばわれた。だからしばらく椅子に座っていた。すると、不安そうにしていたはずの祖父が、

「タ夏ちゃん友紀ちゃん上手かったよ。まるでおばあちゃんみたいだった。ありがとう。」と、声をかけてくれた。私と姉は顔を合わせ、ニコツと笑った。そして、従兄からは、「おばあちゃんがタ夏ちゃんに乗り移ったんだよ!おばあちゃん降臨だね!」

と言われ、とてもうれしかった。

 私は今回、もち米をかしく事はしなかったけれど、祖母と同じように優しくおもちをこねた。そのためか、祖母がいた頃ほど上手くはいかなかったが、我ながら上出来なおもちだった。

 祖母がいないと、豆もちの塩加減やもち来のむし具合など分からない事だらけだった。

 次はもっと勉強し、今回以上のおもちを作りたい。そしていつかは、祖母のおもちを超えたい。